初めての大連と旅順
2017/4/29〜5/3

こんにちは、パンダのキーパンです。
大連に赴任しているNIJIさんに会いに、美留子さんと一緒に大連に行ってきました。
キーパンも美留子さんも大連に行くのは初めて。
大連と言えば、ロシアのダーリニー。戦前の満州の玄関口。満鉄。ヤマトホテル。
そして足を延ばせば、日露戦争の激戦地の旅順、203高地。
あれこれ計画して行ったんだ。
美留子さんは中国は18回目。キーパンは5回目です。1234
キーパンは、新緑をイメージしたグリーンドレス。そして葉月ちゃんのキューバのお土産の「キューバッグ」をもってお出かけです。
では、キーパンの大連旅行記です。
 
2017/4/29
行きの飛行機が、いきなり五時間遅れ。
日本の航空会社なのに、こんなのってアリ?
五時間遅れで大連に到着〜。
初日の晩御飯は、行きたかった蒸し海鮮の専門店。
蘇大嘴海鮮牧場
まずは入り口の生け簀で海鮮を選ぶんだ。
焼肉屋さんのロースターのように、テーブルには蒸し器がセットされているの。
いろんな海鮮や野菜を蒸し器でシュー!
最後は一番下のトロトロのお粥!
美味しいの!
2017/4/30
今日は一日、旅順へ日露戦争の戦跡を訪ねる旅。道路は大渋滞。

まずは東鶏冠山北堡塁。
ロシア軍のトーチカがそのまま残っています。砲弾の跡も。ホンモノ。合掌。
日露戦争中の旅順軍港攻防戦後、乃木大将とステッセル中将との停戦条約が締結された水師営の会見所。
ここは文化大革命の時に破壊されたので再現されたものとのこと。
左はロシア側、右は日本側。
町の中にいきなりあってビックリした。
さて、午後はメインの203高地。
麓は「中日友好桜花林」の桜による、桜まつり。
大変なごった返しで、もはや大人気の観光地です。
桜林越しに見る203高地。
ジーン。
実はこれは、港側から見ている山だった。
そこから旅順港は見えるか!?
見えます!丸見えであります!

合掌。
203高地から旅順港は意外と遠かった。
6キロもあるらしい。
「爾霊山」の碑。
203高地に残っていた砲弾を鋳造してこの塔を作ったとのこと。
ホンモノ。文革で破壊されなくて良かった。ありがとう。
合掌。
旅順博物館。
元は「関東都督府満蒙物産館」。
大谷探検隊の第三次探検隊がトゥルファンで発掘したミイラを所蔵。
文革で破壊されなくて良かった。
203高地よりも旅順港に近い、白玉山山頂より。
旅順港の入口はとても狭いということが分かるの。
広瀬武夫中佐の閉塞作戦。
合掌。
2017/5/1
大連市内をブラブラ。
ここは大連駅前の旧日本人街の「連鎖街」。
建物はそろそろヤバイ。
ちゃんと改装してきれいに使ってほしい。
写真は新旧の対比。
上野駅を模した大連駅。
残念ながら荷物検査のため駅舎には入れなかったの。
お昼は大連駅近くの「関記」で、餃子とモロッコいんげん炒め。
今日は一泊、大連賓館に泊まるんだ。
旧満鉄経営のヤマトホテル。
ヤマトホテルはボールルームも素晴らしいの。
2017/5/2
ここは隣の地区の、星海広場。
アジア一広い広場とのこと。
もはや広すぎてなんだか分からない。
この後は戦前の避暑地だったという星が浦(星海公園)へ。
晩御飯はNIJIさんのお部屋で自炊。
買ってきたお惣菜、そして作った料理。
外食はもう飽きたの…
2017/5/3
朝は労働公園をジョギング。
そしてもう帰るの。
NIJIさんは空港までお見送りに来てくれたんだ。
ありがとう。キーパンは日本でガンバルマン。
NIJIさんも気を付けてガンバって。

大連空港で、今回の旅を回想しているトコ。

初めての大連。
実は大連は北京や上海と違って、あまり観光客がいない街。
なので、とても落ち着いた街でした(正直、あまりイライラしなかった)。
特に、中山区の南山付近はなだらかな坂の街で、日本時代に建てられた洋館も多く(比較的きれいに使われていて)良い雰囲気でした。

旅順は日露戦争の激戦地。
今でも軍港なので2009年にようやく外国人に開放されたということで、行ってみたかった場所の一つでした。
本来は鉄道があったらしいのですが、今は廃止。
自力で行くとしたら、大連駅から直通のバス。
もしくは地下鉄、路面電車、バス、ライトレールと乗り継がなくてはならないということで、今回はツアーで行きました。
結果的にはツアーにしてよかった。東鶏冠山も203高地も公共のバスはなく、タクシーで移動しなければならなかったらしい。

203高地。
戦死者5,052名、負傷者11,884名、合計16,936名もの死傷者が出た場所ということで、行って手を合わせることができ、そして旅順港を見ることができ、ジーンと感動しました。
本当に行けてよかったです。
とは言え、麓は桜まつり。
普通の観光地になっていて、ワイワイガヤガヤだったのが衝撃でした。
もし慰霊登山をするならば、3〜5月はやめたほうがいいです。
そして足腰に自信がない方は、絶対に3〜5月はやめたほうが良い。
普段は上の駐車場まで車で行けるそうですが、桜祭りの最中は、下から登らなくてはなりません。
(それとですね〜、えっとー、大連→旅順の途中の道路は、高速道路?を工事中みたいで、突然迂回したり、3車線が1車線になったりと、しっちゃかめっちゃかです。車で行くのは渋滞覚悟)
ご一緒した、AMさん、HGさんもありがとうございます。

大連賓館(旧ヤマトホテル)。満鉄経営のホテルだったところで、ここも泊まりたかったホテルの一つでした。
建物はとても素晴らしい。
ですが、客室内の調度品は、改装して台無しにしてしまった典型的な例です。
クローゼットはあまりにひどくて、とても洋服をしまう気持ちには(以下省略)。
うーん・・・
便利さを求めるのではなく、歴史的価値に重点を置くならば、ぜひおススメするホテルです。

旧ロシア人街の「ロシア風情街」も風情はあるのですが、お土産物街です。
一番奥には、素晴らしい建物の2代目ヤマトホテル(1909年に開業:旧ロシア市役所)があるのですが、廃墟となっていて残念…

大連の街には他にも取り壊し寸前の近代建築がたくさんあるのでリノベーションして使ってほしいと思いました…

そして戦前の満鉄関連の書物を読むと、よく出てくる別荘地(避暑地)の星ケ浦と、海水浴場の星ケ浦海岸。
陸地側に目を移すと、遊園地となっていて、別荘地だった面影はまったくありません・・・
住宅地のほうはどうなんだろう・・・
昔の地図など準備不足でしたので、再訪するかもしれません。

朝の公園に行けば、太極拳をする人、体操や散歩をする人の他、本格的にジョギングをしている人が多くて驚いた。
5月13日には大連マラソンがあるとのこと。

お楽しみの食べ物について。
大連は港町。海鮮が有名です。
今回行った、「蒸し」の専門店はとても良かった。シンプルで美味しかった。
最近は「炭焼き」も流行っているらしい。
でも店頭に生け簀がある店は、総じてお値段も高いの。
家庭的なレストランは、餃子や炒め物など、安くておいしいの。

中国語は聞きとれたり聞き取れなかったり。
これ以上上達するには、中国語道場みたいなところに行かないとダメかな。

大連にはまたきっと行くでしょう。
キーパンに親切にしてくれた皆さん、ありがとう。
また一緒に遊ぼう!
 

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