記憶の彼方のマレーシア

マレーシアのクアラ・ルンプールに出張に行ったのは、1995年のことでした。
もうすっかり忘れました。
忘れてしまったけど、なんだか懐かしいので思い出して書いてみます。(執筆、2002年1月)

出張目的は、我が勤務先がマレーシアのクアラ・ルンプールで開催された「アジアエリア見本市」に出展するためのものでした。
だいたい、マレーシアに支社もないのに、なんでこの見本市に出展することになったんだっけ?全然覚えていない。。。。
とにかく間に商社などの仲介者は入らずに、直接見本市の主催者と打ち合わせをしました。


1995/11/12(日)
確か、16:00頃成田発、22:00頃クアラ・ルンプール(KL)着の飛行機だったと思います。
いよいよ寒くなりだした秋の日に東京を出発し、着いたところは、真夏の蒸し暑さでした。
私と会社のS氏(←むちゃくちゃおもしろいダジャレ王)、二人の搬入先発隊は、KLの空港でいきなり荷物を開けさせられて、大量の「会社案内」について、アタフタ説明したのを覚えています。

空港から宿泊するホテルまでは確か見本市の主催者が準備した車で行きました。
本来、日本からは四人で行くはずだったのが、急遽この日の出発は二人だけになり、連絡が行き届いていなくて、車は乗用車が二台迎えに来てくれました。
運転手の方も気を使ってくれて、「せっかく二台来ているのだから」と、一台に一人ずつ乗せてくれましたが、闇の中、どこに連れて行かれるのか、不安で、道すがら、「二人で一緒に乗ればよかった」と後悔したのを覚えています。
高速道路から、サッカーか何かのスタジアムの明かりがまぶしく輝いて見えました。

23:00過ぎにホテルについたのですが、宿泊するホテルがどこだったのか、名前はなんだったのか、もう忘れました。
ホテルの入口で、S氏が待っていてくれた時は安心しました。
近くでなにか食べよう、ということになって、夜中に外出したのですが、ショッピングセンターがあるだけで、しかも閉まっていたので、結局はホテルのカフェで、「ラクサ」を食べつつ、ビールで乾杯し、この日は休みました。

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万事如意▲