記憶の彼方のマレーシア
1995/11/16(木)
今日は見本市の初日、そして私が帰国する日です。
朝ご飯はまたホテルのビュッフェです。
今日からは、取締役のN氏、U氏、営業部長も参加します。
▲華やかな開会式。
ホテルから見本市会場までは、主催者側が準備してくれた「リムジン」で移動です。
「リムジンを準備します。」と書いてあったので、楽しみに集合場所に行ったら、なんてことは無い、ただの大型バスでした。
しかも、我が社だけでなく、他の企業の出展者たちと乗合で行くので、出発時間が過ぎてもなかなか出発しません。
15分ほど遅れてバスは出発し、会場のマラヤ大学に到着しました。
開場に先立ち、まずは開会式です。
▲気になる
民族音楽の太鼓のオジサン。
開会式は、テントの前の広場で行われました。
涼しい冷房の効いたところから広場に出ると、持っていたカメラのレンズがさっと曇りました。
マレーシア風の民族衣装を着た人たちが、歓迎の民族音楽を演奏してくれます。
また、業界の有力者が集まるということで、サッカーワールドカップの誘致のために、韓国の舞踊団がパフォーマンスを行いました。(日本はなにもナシ)
お偉いさんのご挨拶は、まずはマレーシアの某省の大臣からのご挨拶、業界のお偉いさんの挨拶などがあり、テープカットが行われました。
開会すると、一応私のお仕事は終わりです。
他社のブースを見に行ったり、競合他社のマレーシア支店で働いている日本人と知り合いになったり、その人たちに現地の社員を紹介してもらったりして、楽しくおしゃべりに花を咲かせました。
夕方は、我が社の製品を取り扱ってくれる予定の小売店さんとの会食がありました。
▲夜のレストランにて。
演奏の人たちはカメラ目線です。
本来、私の仕事内容では、小売店さんとの会食に同席することは無いのですが、女性一人で取り残されるのもかわいそう、という取締役のご配慮で、出席できました。
取引先の小売店の社長さんとバイヤーの方は、インド系の人でした。
取締役に、「今日の食事は、"Typical Malaysian Food"だよ。」と言われて、とても楽しみにして行きました。
到着したレストランは、本当に高級そうで、シックなマレーシアンな内装でした。
正面にはステージがあり、ステージの横ではずっとマレーシアの民族音楽を生演奏しています。
雰囲気もムードもバッチリな店でした。
生演奏の人たちに、「一緒に写真を撮ってもいいですか」とボディランケージで聞くと、彼らはカメラ目線で笑顔を送ってくれました。
サービス精神旺盛な人たちでした。
▲マレーシアダンスが始まりました。
このお店の食べ物はバイキング形式でした。
サラダ、サテー、お肉をローストしたもの、後は、いろんなカレー味で煮込んだお肉やお野菜でした。
しばらくすると正面のステージでは、マレーシアンダンスが始まりました。
民族衣装を着たお姉さんたちが10人ほど出てきて、魅力的なダンスを踊りました。
さて、こんな楽しい食事会でしたが、私はこの後、夜の飛行機で帰国しなくてはいけません。
21:00頃になり、とりあえず、食事会はお開きになりました。
私は一度ホテルに帰って、荷物を持って空港に行くつもりでいたのですが、心配してくれた小売店の社長さんが、自分の車と運転手さんを貸してくれることになりました。
(ご自身たちはタクシーで移動するから大丈夫、とおっしゃってくださいました)
お店の前で、私は皆さんとお別れです。
私は社長さんの車でホテルへ、私以外の男性陣は、KLの夜の町に繰り出していきました。
ホテルで荷物を引き取り、空港に向かい、空港でスーツからジーンズに着替えました。
▲空港にて。
いろんな人種の人たちがうごめていています。
空港の二階から一階の様子を見下ろすと、本当にたくさんの人種の人たちがうごめいています。
なんだか最後の最後まで、カルチャーショックに襲われたマレーシアでした。
私が搭乗する飛行機は、確か0:00頃KL発、翌6:00頃成田着のJALだったと思います。
チェックインして登場待合室で待っているとアナウンスが。。。
「到着機が遅れているので、皆さんの出発も遅れます。」
え〜!そのまま待合室のソファーで横になって一眠りしてしまいました。
1:00過ぎくらいに飛行機は離陸。
比較的空いていたので、私は肘掛を上げて横になって過ごしました。
1995/11/17(金)
到着した成田はすっかり秋の風で、真夏の装いでいた私は、寒さに震えました。
私は「出社しなさい」という上司の言葉通り、成田から会社に出社し、一日会社で過ごしました。
ほとんどボーっとしていましたが。