記憶の彼方のマレーシア

1995/11/15(水)
今日は搬入の最終日。朝ご飯はまたホテルのビュッフェです。

タクシーでまたマラヤ大学まで移動です。
昨日までは施工でしたが、今日はいよいよ商品の搬入日です。
ようやく会場にも冷房が入りました。
私たちは、結構必死で商品の飾り付けを行い、受け付けまわりの準備をしました。

この日はお手伝いで、主催者側が手配してくれた日本語ができる中国系の陳さんが来てくれました。
この陳さんは自己紹介するときに、「私はタンです」と言っていました。
実は、本格的に中国語を勉強するまで、「陳」と書いて「タン」と読むものだと思い込んでいたのですが、この呼び方は福建系の呼び方だったんですね。
働き者の、カワイイお嬢さんでした。

搬入は意外と早く終わり、確か15:00頃には解散になったと思います。
私と営業のI氏は、初めてKLの市内に足を運びました。

▲マスメッド・ジャメにて。
感動のカルチャー・ショックでした。


KLの中心部にある、マスメッド・ジャメに行ってみました。
クアラ・ルンプールの名前の由来にもなった場所にあり、回教のモスクです。
本来、女性は髪の毛を隠してでないと入れないのですが、私は注意書きの看板に気がつかなくて、普通に入ってしまいました。(誰にも怒られなかったけど、後でこのことは自分自身が許せませんでした。)

ちょうどお祈りの時間で、人々が唱えるコーランが響き渡り、なんというか、今まで見たことも、感じたこともない、感動におそわれました。
「これぞ、カルチャー・ショック」だと思いました。

その後、歩いて近くの大きなセントラルマーケットに行ってみたのですが、ここはいわゆるお土産屋さんが並んでいて、それほど感動はありませんでした。
とはいいつつも、シンガポール航空のスチュワーデスさんの衣装をコスプレ用に買いましたが。。。

▲チャイナタウンにて。


夕方の待ち合わせの時間が来て、私たちはホテルに帰りました。
夕食は、今回もまたCHOIさんが迎えに来てくれて、S氏、I氏と私と四人で、中華街の屋台に食べに行きました。
ビルの一階が騎楼になっていて、そこに屋台やテーブルが出ていました。
当時は、中華ワールドに全然興味が無かったので、ただ食べて帰ってきただけだったのが残念です。

最後にCHOIさんから、「どこか行きたいところはないか?」と聞かれて、駅フリークの私が「KL駅を見たい」というと、快く連れて行ってくれました。
駅舎は、白亜で、尖塔をもったイスラム建築です。夜で暗かったので、写真が撮れなかったのが残念です。
駅の中も見に行ったのですが、国際列車も出ているだけあり、ずいぶんと機能的な駅だな、と感じたことを覚えています。

結局、このCHOIさんは一体なんでこんなに私たちに親切にしてくれたのでしょうか。
彼はただのフォワーダー(運送担当)で、別にこの見本市の期間中、私たちからキックバックを得ることもありえないし、本当によく、この子供みたいなチョロチョロした一派の面倒を見てくれました。
ただ、ただ、お世話になりました、としか言い様がありません。ありがとうございました。

次の日へ▲


万事如意▲