台湾ポップス事情 その2 (原稿:師匠)

前回の話の中で、あまりふれなかった事を2,3,今回取り上げてみたいと思います。

一番目には、世界中のポップスでもあまり見られない、現象がこのジャンルにみられます。それは歌詞の中に、台湾語と日本語が併立してつくられている作品が結構あることです。J.popにみられる、でたらめな外国語が入っている様なものとは全く違い、二つの言語が完全に一つの文章の流れに乗っかっているのです。
例えば、阿那答、縁投子仔等 は一行ずつ台湾語と日本語が出てきます。意図的に作られているので、日台二つのことばは同一テーマの内容にもとずいてつくられているのは当然のこと、両語が掛け合いになっていることさえあります。
また、国語のの作品ですが、張学友や劉徳華などに、カバーされている黄品源の作品のなかには、さびの部分で日本語が繰り返し使われています。しかもこの作品はJ・popのカバーでもない彼のオリジナル作品なのだから、驚くほかありません。それもセンテンスではいっています。
単語で入っている作品は数え切れないほどあります。チャゲアスや 中島みゆき浜田省吾等が香港ポップスによくカバーされていることはご存知の人も多いと思いますが、台語歌でも演歌や歌謡曲ばかりでなく、小椋桂(シクラメンのかおり)や中島みゆき(ルージュ)等のポップ系もあります。しかし最近の傾向はオリジナルが多くなってきており、いまや台湾の国歌なみといわれる(流浪到淡水)や伍佰の台語フルアルバム(樹枝孤鳥)等、続々と新作が発表されています。

最近 日本のチャイナポップスファンの中で台湾語の歌詞の意味が知りたいと言う人が増えてきましたのもこういったオリジナル曲の増加に因るところが大きいとおもいます。
このような傾向が進むなかで、最近台湾語の歌詞を翻訳したいという人が増えてきて問い合わせがよくきます。そこで、このまえ少し翻訳のことについて書きましたが、中文のできる方によくある誤解の例について、もう少し補足してみます。

まず、一番基本的に覚えておきたいことは、翻訳の限界ということです。
逐語訳をしても、意訳をしても、100%作者の意図が伝わることはない。日本語で書かれたものでも、よく理解できないものがあるぐらいだから、外国語なら当然の事、文化的側面や習慣の違い、ローカルのクリッシュ等がその壁となります。
二番目に、普通語と台湾語の単語の意味のずれ、の問題です。
日本人が中国語を学ぶとき、漢字の熟語の落とし穴に留意するのに、台湾語や広東語のときは全く気にしない。日本語の方言の間ですらそれがあるのに、それどころか、 時間の差が言葉の意味の変化をもたらすことを日常的に体験しているはずなのに。
少し例をあげましょう。
「冤家」台湾語では 喧嘩の意味。 「帰」 中文で整 。 「工」 中文で 日
「細言弐」 (活字がでない 二の所に員が入る) 台湾語では遠慮の意味。
「牽手」 台湾語では 連れ合い、妻の意味。「不凍」 不行の意味。 等等

又別のタイプの勘違いでは、文字の誤解です。
「批 」この字からあなたは 「手紙」をすぐに思い浮かべることができますか?
実は、これはpoeとよんで 普通語 で (信)の意味になります。そして厄介なことに、「信」と表記してpoeとよませる場合があるから、本当に困ったものです。台湾語のカラオケは台湾人ですら、一度原曲を聞かないことには歌えません。

最後に 大きな問題が二つあります。
その一は、台湾語に、スタンダードがないこと。これは日本の責任が一つと国民党の責任が一つです。興味のある方は調べてみてください。
その二として、国語のほうが高級な言葉と信じている台湾人が、国語交じりの台湾語を、日常的に使い続けて五十年にもなるため、オリジナルの台湾語に疎くなっていることです。
これは上海語にもみうけられる現象で 「不客気」や「我」の発音がくずれたり、語彙が変わったりしてきています。筆者の経験ではある歌詞の部分の訳を五人の台湾人に聞けば、五人とも違う説明をしてくれたことがあります。
まあそんなわけでことほど左様に大変なのが台湾語なのですが、そこがまた面白くてやめられないのです。
(K師匠・2000年)
 その3へ▲ TOP▲