向ヶ丘遊園(生田緑地)
2009/5/23

こんにちは!パンダのキーパンです。
向ヶ丘遊園地だったところがステキなバラ園になっているというのを聞いたので、ぜひ行ってみたいと思っていました。
向ヶ丘遊園地のばら苑は、今は生田緑地の一部になっています。
 
JR南武線の宿河原駅から延々と歩いて山を登ってたどり着いたのが、このステキなバラ園です。
広〜いの。
ステキ〜。
いろんな種類のバラがいっぱい!

ひとしきりバラ園で遊んだ後、生田緑地の中を散歩しました。
 
日本民家園に行きました。
25棟の文化財建造物が日本各地から移築されているの。
この家は原家住宅。
川崎市中原区小杉陣屋町から移築されたんだって。
明治24年から22年の歳月をかけて大正2年に完成した、総ケヤキ造りの豪壮な2階建ての民家。
囲炉裏端で楽しくおしゃべりしたり、休憩したり。
今度は岡本太郎美術館へ。
これは、母の塔。
美術館の中は撮影禁止ね。
岡本太郎さんとニラメッコ。
噂通り、向ヶ丘遊園のバラ園は素晴らしかった。
たくさんの品種が今を盛りに咲いていて、バラ栽培の参考になりました。

日本民家園は、何があるのか知らずに入ったけど、日本各地の民家が移築されており、地域ごとの特徴がよくわかり、興味深かった。
実際に上がれる家もあって、そこでは囲炉裏に火が入っていて、当時の様子を体験することができました。
豪雪地帯や寒い地域の家は、総じて窓が少なく、昼でも暗い感じの家でした。
そして、だいたい厩が家の中にある。
昔の人たちの生活を感じることができました。

さて、岡本太郎美術館。
岡本太郎さんの絵画の実物は、渋谷の「明日の神話」しか見たことがなかったけど、色使い、モチーフ、構図など、衝撃的な迫力でした。
度肝を抜かれました。
生前の岡本太郎さんの創作の様子をモニターで再生していましたが、大胆に最初のひと筆をふるう姿は、創作というよりも、魂をキャンパスにぶつけているような印象でした。
また岡本太郎さんの経歴で驚いたのは、1929年19歳の時に家族でヨーロッパに渡り、10年近くもパリで暮らし、1940年ドイツのパリ侵攻で帰国。
1942年31歳で出征。中国戦線へ。
10年近くもパリで暮らし、31歳という油の乗り切った時に徴兵されるとは、どんなに絶望的な気持ちだっただろうかと思いました。
その後の人生も、作品も、興味津々です。

バラ園を見たくて行った生田緑地だったけど、バラ園だけでなく、他の施設も楽しめた一日でした。