「阮」ってどういう意味?
このホームページのタイトル「阮的台語歌」にも使われている、「阮・グン」という言葉。
私、Mはずっと「私たち」という意味だと思っていました。
しかし、いろいろ歌詞を研究していくうちに、必ずしも「私たち」と解釈しない、「私」と単数で解釈する場合もあることに気がつきました。
そこで、掲示板で素朴な疑問としてぶつけてみたところ、諸兄からご回答をいただきました。
以下は、そのご回答です。皆様も、どうか今後のご参考にしてください。(M)

〜KKさんより〜

歌詞には、「阮」と書いて、goaと読む時や逆もたまにでてきました。
辞書から引用すると
(1)私たち、我々。一人称複数。聞き手は除外して、自分と第三者を含めていう。
(2)私の、私たちの。身内のものや親しい関係にあるものについて使う。
  例 阮兜(gun tau)私の家
     阮学校(〜hak hau)私たちの学校 
     阮此枝万年筆(〜chit ki ban−lian−pit)私のこの万年筆 

又、「阮」とよく混同しやすい「〔口自〕」lan2についのも現代ミン南語辞典から引用して下記に記載いたします。
「〔口自〕」
(1) 我々、私たち。第三者を除外して、自分と聞き手を含めていう二人称複数代名詞。
例 恁是客人、阮是河洛人、總是〔口自〕〔才龍〕總是台湾人
  あはたがたは客家人で、私たちは福〔イ老〕人です、
しかし我々は皆台湾人です。
(2)我々の、私たちの。身内の者や親しい関係にあるものなどについていうときに限られる。
  例 〔口自〕台湾此満當熱
    私たちの台湾は今暑い盛りだ。
(3)あなたがた(の)。電話で使う。
  例 〔口畏〕、〔口自〕彼是王公館、是無
    もしもし、そちらは王さんのお宅でしょうか。

 著者 村上嘉英様
 辞書を無断で引用してる事、深くお詫び申しあげます。
 2002年には、新たに再発行される辞書を阮的台語歌会員一同購入致したいという事でお許し頂きたいと思います。


追記 〜Monさんより〜
阮 = goan2 = we, us, our (excluding you)
〔口自〕 = lan2 = we, us, our (including you)

「私たち」は台湾語の場合、「阮」と「〔口自〕」があります。
相手を含めた「私たち」の場合は「〔口自〕」で、相手を含めない場合は「阮」です。
とあります。「はじめての台湾語」趙怡華著 ISBN4-7569-0665-6明日香出版社の18頁より。



〜Fさんより〜

「阮」について

日本語の「私」は、台湾語で「我」goa(2)ですが、「私たち」は「阮」gun(2)と言います。
「阮」gun(2)は、またgoan(2)とも発音されますが、実はこちらがもともとの形で、gun(2)はgoan(2)が短くつまってできたものです。
少しニュアンスは違いますが、日本語の「わたくし」が「わたし」になったようなものです。
ところで、漢字の「阮」に戻りますが、この「阮」という漢字はもともと地名や人名を表わす固有名詞として使われていました。
それがなぜ「私たち」を意味する「阮」になったかというと、諸説あり、はっきりしません。
これは「阮」に限ったことではなく、台湾語全般の漢字について言えます。
goan(2)と発音する漢字は、ほかに「玩」や「翫」など約10字くらいあります。
しかしどれも固有の意味があり、「私たち」という意味をあてはめるには少し問題があります。
そこで、あまり特別な意味がなく、人名くらいにしか使っていなかった「阮」に軍配があがったものと思われます。
それと画数が比較的少なく、書きやすいことも理由の一つだったのでしょう。
いずれにしても「当て字」の一つには違いありません。

以下は当て字についての例です。

先ほど、“日本語の「私」は、台湾語で「我」goa(2)ですが、「私たち」は「阮」gun(2)と言います。”と書きましたが、正書法の定まっていない台湾語の世界では、阮を我の変わりに使うこともしばしばあります。
林強の「向前走」hiong(3)chian(5)kiaN(5)の中でも、歌詞カードには「阮欲來去台北打[才并]」とありますが、
goa(2)beh(4)lai(5)khi(3)tai(5)pak(4)phah(4)piaN(3)というように、「阮」を「我」goa(2)と歌っています。
同じ林強の「黒輪仔伯」oo(1)lian(5)a(2)peh(4)の歌詞は、国語の当て字が多く、教会ローマ字にするのに相当苦労しました。
この歌詞の中から数例をあげると、
「沒多少」←「無若多」bo(5)goa(7)choe(7)「いくらもない」
「整天」←「規工」kui(1)kang(1)「一日中」
「常常」←「定定」tiaN(7)tiaN(7)「いつも」
「不要」←「唔通」m(7)thang(1)「すべきでない」
「可以」←「會使」e(7)sai(2)「できる」
「毎天」←「逐工」tak(8)kang(1)「毎日」
「他説」←「伊講」i(1)kong(2)「彼は言う」
のようだから、たまりません。
「他説」と書いてあるのを「イーコン」と発音するのは、対応関係に慣れれば、案外簡単かも知れませんが、「不要」を「ンムタン」とするのは、かなりきついです。
なぜなら「要」は普通「欲」beh(4)の代わりに使い、どうしても「ベ」と発音してしまいますので、混乱します。
「無」「不」「抹」「没」「[衣末]」「不會」「勿會」(ほかにまだあるが省略)がいずれもboe(7)「ボエ」と発音されうる台語歌謡の世界は、一筋縄では行きません。

まとめ。
つまり、耳で聞こえる部分で、「ゴァ」と言っていたら、「私」という単数ですが、「グン」と言っていても、必ずしも「私たち」と複数を表しているわけではないこと。
また、歌詞カードはさまざまで、「阮」と書いてあっても、「ゴァ」と言っていて、「私」単数を表現していることもある、ということ、と解釈しました。
皆さんもいろいろ聞いてみてください。(M)

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